1993年2月4日、家を建てるための最初の仕事、基礎工事、
風除けの作業場と、1坪のストーブ小屋を作り毎日4,5人で土台回しや柱を刻んだ。
これが始まりで、11年の年月がたち家はどんどん増築して変わり続けている。引き続きこの変化する家の模様も載せてゆきます。
お楽しみに
総工費:650万円 人件費350万材料300万なり
建坪52,5坪 
主なメンバー:左から画家の山田さん、施主で大工として働く私、木彫家で棟梁の青木さん、陶芸家の和田さん、みんな怪我と弁当は自分もちで真冬の寒さの中の2月3月手伝ってくれました。何といっても青木さんの家も彫刻だと言う作り方は、とても勉強になり、いまだにその言葉を思い出し作り続けています。
基礎工事というのは、家の根のようなもので、出来るとそのほとんどは土の中、埋め戻しながら、こんなに苦労したのに埋めてしまうなんて寂しいナーというかんじ・・・・・。
一本めの5めーとるの柱が立った時はいよいよ上へ向かって立ち上がってゆく家のイメージがはっきり見えた
そしてどんどん立ち上がっていく
足場丸太を家の周りに番線で組んで、1階から2階へと上がってゆく。みんな素人なのであるから危険なやり方をしないでゆこうと、2階の床板を張ってそれから棟を上げようとなった。私が高いところが怖かったのだ。この頃、家を建てることは命がけの仕事という事を実感した。
土掘りから42日で屋根まで出来て家らしくなりました。
八ヶ岳の大自然の中で、
今までの46年間(2003年)の人生の中で、肉体の自分が最も充実した日々はというと、この時(1993,2月〜7月)のほぼ半年の間であると答える。
2003年南側(玄関)ののきを2メートル出す。もらい物の屋根材はカラフルだ。
1993年7月8日
風呂が完成し、ガスもつき家族ではじめて泊まった。記念すべき第一日。

まだまだ未完の状態で、住みはじめ、作り続ける。同時に引っ越しも7月中に終える。
 1日、内壁を10坪貼り、天井を貼り、棚を作り・・・・・・無限にやらなければいけないことがあった。だが、自分達の夢の城に今住みだすことが出来、この喜びが無限のパワーとなって疲れを感じなかった。

まだまだ増築は続いている。
その様子は、BROGの「月の国からのひとりごと」のカテゴリー家づくりでご覧ください。

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2月11日、この年の1番寒い日に捨てコンをうった。夜、石油ストーブを基礎の穴においてシートでふたをして養生した。
型枠が膨れ上がってもう少しで破裂しそうなところがあったが、無事に基礎が出来た。
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2007年
東に10坪の家

第6次
増築へ

2004年トイレ増築  
 こんな田舎にもいよいよ下水道が完備され、トイレも水洗トイレを取り付けられることになった。
子供たちが出かけるときの朝に込み合うこともあり、簡易水洗のトイレを取り壊すのはやめて、その横にもう一つトイレを作ることにした。
丁度畳一畳の増築である。下水の配管は、本管まで穴を掘っておくことを条件に10万円で全てやってくれることになった。
この工事は町の指定業者がやることが決まっていたので自分では出来ないのである。

肝心のトイレは、最新式の全自動トイレをネットにて安く買うことが出来、水道、電気、排水まで作り、
最後の本管へつないでもらい無事7月より水洗になった。

このときの建築中の写真がコンピューターが壊れ消えてしまったのでほとんど残っていない。

2000年玄関右手に5坪増築ココは、近くの家の廃材で作った。

費用:天窓のペアガラスが4万円下が全部で9万円
1996年庭がだいぶ出来た頃。左に片屋根の部屋を作る。この3.5坪の家のほとんどは200年前の蔵の材で作った。

費用:蔵の解体合わせて10万円
8月、たくさんあった廃材で3坪の仕事場を作る。
壁にルーフィングをたらしとめる。家はいっきに家となってくる。中に入るという感じになった。そして、下から杉板をどんどん張ってゆく。
今あらためて感じる構造の弱さかな・・・でも10年の歳月に補強し大きく変わってゆくのだからおもしろい。
まだまだ増築は続いている。
その様子は、BROGの「月の国からのひとりごと」のカテゴリー家づくりでご覧ください。

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まもなく完成します。

布基礎を作るために型枠をつくり、それを捨てコンした上にまわしてゆく。その間にどんどん資材が集まってきた。かやぶきの家を解体したり、お寺を解体して廃材が山積みになっていた。
そしていよいよ木の仕事、刻んでおいた土台回しをし、防腐剤を塗り、木の家が立ちだす。
家は木で出来ているのだ。  
木たちは今、家として生きはじめている。私たちはその木の中に住まわしていただく事を感じ出した頃だ。
こつこつと屋根作り、シングルを張った。
60日目。外壁が完成した。いよいよ内装に入る。外に山済みしてあるウイスキーの樽材で床を作る。60センチの丸い樽の鏡板を6角形に切ってゆく。。でも400枚は家を建てる前にこつこつ切ってあったので、足りない200枚をここで切った。
丸を6角形に切り、パッチワークの要領で床を作る。
立派なかやぶきの家からたくさん材料をいただいて無駄なく使わせていただく。
玄関も窓も何とか出来た。みんな有り合わせで、いただいたものばかりだ。
そして、いよいよ内装に入った。これからは
1人で考えながらがんがんやってゆかなければならない。
廃材の山から、使えそうな木を選んで玄関を作る。
3人で、3日で外壁は貼り終えた。足場がなんとも細く、よくやったものだと今にして思う。
家の前には、3件分の廃材と、40トンの樽の木が置かれていて、それはどう考えてみても新築の家を作っているとは思えない状況だった。木の山が500坪のいたるところにあったのだ。新しい家と廃材がとても対照的になってきた頃で、廃材をかたずける事も同時に始めた。
1階の床はりまで手伝ってもらう。
ボンドをたっぷりつけて置くだけ、
仮設の家も2畳間から4畳間と大きくなっていたが,いよいよ取り壊してしまう。5月・・・・・
まずは、腰まで杉板を張る。
キッチン
リビング
アトリエ
腰から上はコンパネを張る。なんといっても素人の家造りであるからして強度を出す為にもみんな大壁にする。  しかし柱が垂直じゃないのでみんな斜めに切らなくてはならなかったよ。2,5メートルの柱の上としたでは5センチ曲がっているのだ。これでいいのだろうか。
これが青木流彫刻家造りの極意・・・・水平器など使わない家造り・・・不安なところはみんな強度を出す為にいろいろ木を充てて、何とか不安なる気持ちを消してゆく。・・・無限なる成功
6畳の納戸
10畳の子供部屋
蔵板で階段を作るこの蔵板はカナディアンファームのハセヤンからいただいた立派な板だ。
300個のレンガで造るこの五右衛門風呂は、たぶん薪風呂の構造として、最高の効率であると思う。この風呂を造っていてつくづく感じたことは、人間は火をコントロールしたいのだという事。長年の経験から培われた,薪風呂の 最終形だと思う。
風呂場の天井は、樽の横木を使った。水道の配管も出来、煙突をつけるのが大変だった。
一部屋ごとに区切られて、
家族が集まり、1日中ここにいて楽しく作り続けた。
1階より先に2階の床が張られ,いよいよ棟上だ。だいぶ寸法がまちまちでみんな現物あわせでの棟上となった。
テーブルは実家の廃材の床の間と梁で作った。初めてのテーブルだがとても気に入っている。
2001年4坪のベランダを作る
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自分達の家を建てる
1998年玄関左手に5坪増築。この部屋は、隣町の高原中学の廃材で作った

費用:5万円
i家に住みだすということは、すごい事。たくさんの人が祝いにやってきてくれた。そしてこのことを、一番伝えたかった両親が駆けつけてくれた。まだまだ未完のままの家で、周りは廃材や引っ越してきたばかりのとんでもない散らかりの中・・・・・とても新築とは思えない・・・でもわが家族の新天地での旅立ちを祝いに来てくれた。最大の心の応援をしてくれていたわが父、母、妻の父、母が、自然のままの地だったここを、開拓者として作り上げた家に泊まりに来てくれた。無上の喜びを感じていた。
ALL HAND MADE HOUSE
これがほぼ今2003年の全景
建坪64坪+仕事場16坪
よくココまで作り続けたもんだと我ながらに思う。四人の子供達も大きくなってきた。
まだまだ永遠に変化し続けてゆくだろうこの世界を妻でありよき友人である雅に贈ります。
無限なる感謝
10年の歳月で樽の床はぴかぴかになったよ。木は使うほど味わいが出てくる。
たくさんの人たち、山田さん、和田さん、佐竹君、西さん、、ヒロさん、中根さん、そして、木彫家であり棟梁の青木さんに出会いこの家が出来ました。
本当にありがとう
屋根を支える柱は、大泉のかやぶきの家の大黒柱と去年伐ったヒノキで作る。
帯戸に欄間は200年前の家のもので、ぼろぼろの欄間をいきなりつけた。
大黒柱の基礎

全て廃材にて作った。

この扉は、昔の洋服ダンスの両サイドの板で,この小さな戸を開けると2つのトイレがある。

これが今までの簡易水洗のトイレ

これがINAXのサティスで全自動トイレ

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増築

2005年
西側の4,5畳と蔵の改装

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