今年は、2005年7月から集めた薪を使うことになる。
いろいろと声がかかると、量に関係なく着実にこなして集めた。
一番の薪は、9月に運ばれてきた廃材の山である。4トン+2トン運ばれてきたが、
2005年の寒さは半端ではなく、薪の量はいつもの倍近く使った気がする。
廃材はほとんどが松であり、乾いているので切ってどんどん燃やしてしまい、
なんと12月までにはほとんど燃やしてしまった。
この廃材がなかったら、我が家の薪のほとんどは燃やしてしまっていただろう。
薪が少なくなるととても気持ちまでもが寒くなってしまうものであることを
あらためて実感した。
廃材は、捨てるほうもありがたく、もらうほうもありがたいもので
きちんと柱は柱でまとめと持ってきてくれるのだから
今後も薪としてはとても有効な薪であると思う。
我が家のように、お風呂も五右衛門風呂で、
クラブ帰りの子供たちは絶対毎日入るので
松の廃材はよく燃えて実にありがたいものなのだ。



7月大泉の赤松の森で、4月にも4本倒したのだがもう1本倒してほしいといわれ、真夏に末口40センチの松を倒してきた。後でトラックで運んできてもらう。
松は薪にいらないという人が多いが、それはとんでもない間違いだ。乾いていれば非常に良く燃えて火力もある。ただ燃え尽きるのも早い。五右衛門風呂には乾いた松がいいと思う。

11月 どんどん柱を切り薪にする。
使えそうな柱は別に積んだが、ほとんど薪にしてしまった。柱が終わると、梁がどんどん出てきたが、これもほとんどくじけていたり折れていて使い物にならず、薪に切っていった。

3分の2を12月までに燃やしてしまった。すごい量を2ヶ月で燃やしてしまった。
廃材の山が片付いて一安心。
1割はなんとかまた家材として使えそうで、、後の2割を使って材料置き場を作った。

材料になるものをまとめて、作った置き場に移動して、山積みだった廃材の山がきれいに片付いた。

12月6坪で、高さは低い150cmの材置き場ができた。
これで結構いろいろ置けて家の周りも材も少し片付いた。

2月きちんと積み替えて、屋根を張った。
この松は、今年の10月から燃やしていく薪となる予定だ。

9月中旬にはこの廃材が来た。
梁と柱ばかりで4トン、間柱や細い角材は2トントラックで来たが、トン数よりうんと積んでいる感じであった、

使えそうなのを分けながら、どんどん切って薪にしていった。

木っ端もたきつけにとても便利だ

10月部落の人から赤松をいただく。
子供たちも手伝ってくれて運んだ。

12月いきなり冬本番の寒さとなりこの廃材から燃やしていくしかないとどんどん燃やしていった。、釘は結構刺さっているものの乾いているので良く燃える。
小さい木っ端も五右衛門風呂で使いどんどんん使った。

ここは、お墓の間の道を40m通らないといけないのでここに眠る方々の天命を祈りながら、静かに運んだ。

2006年1月去年の4月に切ってきた梅や桑の木の玉切りして積んであったのを割る。
梅は曲がるくねっているのでなかなか割りにくい木である。

私が割り、ひかり子がネコに積み、雅が運ぶ。みんなでやるととても楽に感じる。

1月10月にとってきた松を毎日少しずつ割って、1週んくらいでみんな割リ、軽く積んで乾かした。

雪なく薪運びはとても楽な年であり、毎日運んでいた気がする。いつもの年は、雪のこともあるのでベランダに5日分くらい積んでおくのだが、今年は、廃材の松ばかり燃やしていたこともあり、軽く運ぶのも楽ですぐ燃えてしまうので、とにかくよく運んだ。

2月    凍りついた赤松を玉切りする。
下の段は凍って固まっていて動かず、あきらめる。

TOP
薪割り
2003年
2004年 2005年 2006年
薪割り
2003年
2004年 2005年 2006年

斧で木を割ること     
そのパワーを感じていつもながら歓喜してしまう。

今回の木、本当に赤い梅ノ木、黄色の桑の木、赤茶の梅の木と、色が面白く、燃やせない薪となって、みんなブローチ、イヤリング、、一番たくさんボタンになった。

3月 
 またお墓の先の赤松を運ぶ。
末口60cmあり、薪にするのも大変な木である。

3月末女の子と3人で楢の木の薪を軽トラ一回運んだ。
その木を風香が割ってくれた。
14歳の女の子といえど斧を持ったらすごいパワーである。

4月26日1年寝かせてあったが虫も入らずしっかりとしている赤松を、半分玉切り、後の太いのは皮を剥いておくことにする。
何かに使えそうである。



2006年

4月12日桜を2回、松を1回運んできた。
みんな玉切にして、割って積んだ。

軽トラックいっぱいの皮が出たので、風呂の炊きつけにしようと雨のかからぬところに積んだ。

今年の薪はいろいろなところからいただいてきた。
まだあちこちと取りに行くところがあリ、何とか5月中に終わらせようと思う。、

こうしてまとめてみると、
薪のある暮らしは、なんとも大げさなほどたくさんの木のおかげで成り立っている。
木は本当にエネルギーの塊であり、無駄になるところが全くない、
木に生かされ、木とともにわが生活は続いていくのである。

薪ギャラリー

毎日薪の山が増えていく。丸太で積まれていたものが、割られて薪となって変な形のオブジェが出来上がる。
小さい頃積み木で遊んで楽しんだときと同じような楽しさがある。はじめは実に不安定だが、だんだん大きくなっていくと安定してしっかりとなってくる。そして、積まれていくときちんと見えるから不思議である。

inserted by FC2 system